「ミサの式次第と第一~第四奉献文」

について

 日本司教団は、2021年度日本カトリック司教協議会第1回臨時司教総会(7月開催)において、これらの新しい式文によるミサを2022年11月27日(待降節第1主日)から実施することを決定しました。  
  現在、一宮教会もそれらに沿ってミサを行っています。 
資料としてファミリーニュースにも2022年2月号から掲載をしましたので、ご一読ください。 このページにも掲載をしてあります。 

「ミサの式次第と第一~第四奉献文」について


現在のミサ式次第

こちらのミサ式次第(会衆用・簡易版)をご覧ください。
(PDFダウンロードはこちらです。)

*一宮教会の聖堂入口に準備してありますのでご利用ください。

関連書籍

新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」等の実施に向けてに関するミサ式次第の書籍は、カトリック書店などでご購入ください。

もしくは、一宮教会 事務局へお問い合わせください。

「ミサの賛歌(ミサ曲)」について

「ミサの賛歌(ミサ曲)」については、一宮教会は現在検討中です。決定次第お知らせいたします。

「ミサの賛歌A~C」は、カトリック中央評議会のHPで視聴できます。
リンクこちら

「新しい『ミサの式次第と第一~第四奉献文』の変更箇所」その1

主任司祭 太田 実
~2022年2月ファミリーニュース原稿より~


 

今年の待降節から日本語のミサ式次第が変更されます。それにともない「新しい『ミサの式次第と第一~第四奉献文』の変更箇所」が日本の典礼司教委員会から発行され、昨年12月16日には名古屋教区典礼研修会が開かれました。講師は神言会の市瀬英明神父でした。一宮教会ではこの研修会の内容を、ファミリーニュースで連載し、変更事項の周知を図ると共に、一宮教会の典礼研修会で質疑応答をすることによって理解を深めたいと思います。第一回目の今回は、市瀬神父によるミサ全体の流れについての解説をご紹介し、私のコメントを付けたいと思います。 

 

開祭 

開祭は一般のグループやクラブの集いの開会ではありません。有志の人々が集まって会合や演奏などを始めるということではないのです。教会はギリシャ語でエクレジアと言いますが、呼び集められた集いという意味です。わたしたちはミサに何らかの義務や強制によってではなく、三位一体の神の呼びかけを受けて、感謝の内に集められるのです。 

 

ことばの典礼 

ことばの典礼はみことばを聴くことです。パウロが「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことにより始まる」(ロマ10:17)というように、わたしたちに名指しで語りかける神のみことばを喜んで聴きます。人間の定義を「言葉を聴くもの」とした人もいますが、人間の本質は対話をすることです。神のみことばを聴くだけではなく、そのみことばに応答します。 

感謝の典礼 

感謝の典礼の中心は奉献文です。奉献はわたしたちのものを差し出すということです。わたしたちは言葉で応えるだけではなく、喜んでわたしたちのものを献げるのです。 
 サクリフィチウム(sacrificium)は日本語で犠牲とも訳されますが、犠牲というと、「犠牲者は何人」と、被害を受けることを連想します。しかし、これは残念なことです。キリスト教でいうサクリフィチウムは愛と関連しています。最近再び「ミサの犠牲」ということが取り上げられていますが、愛を込めた神への献げものという意味に受けとる必要があります。 

 交わりの儀 

 交わりの儀の交わりはコムニオ(communion=共に一つになること)です。交わり、関わりは人間存在の根源的体験です。人間性、人間らしさの大切な要素です。 


派遣 

 ミサの終わりは「派遣」(missio)です。神によって集められた人々はミサの終わりに使命を委託されて派遣されます。 

 ミサはエウカリスチアとも呼ばれます。エウカリスチアはギリシャ語で感謝という意味です。私たちは父と子と聖霊の神によって招かれ、みことばによって養われ、 

パンとぶどう酒の形のうちにおられるイエス様の身体を頂き力づけ 

られ、地の塩、世の光としてそれぞれの生きている場に、キリストの 

平和をもたらすために遣わされます。 

 次回からはそれぞれの部分の変更点についてご紹介します。 

「新しい『ミサの式次第と第一~第四奉献文』の変更箇所」その2

主任司祭 太田 実
~2022年3月ファミリーニュース原稿より~


先回はミサ全般の確認でした。今回は開祭から集会祈願までの変更箇所についての解説です。

A 開祭

大きな変更点は、司祭と会衆との対話句です。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともに」という司祭の言葉に、以前は「また司祭とともに」と応えていましたが、今回の改訂では、「またあなたとともに」に変更されました。典礼が日本語化されたとき、「司祭」は司教、司祭、助祭という位階を指すのではなく、「祭りを司(つかさど)る者」、司式者という意味が込められていたのですが、その理解が浸透しませんでした。ラテン語規範版の会衆句を直訳すると「またあなたの霊とともに」(et cum spritu tuo)となりますが、日本語で「霊」というと幽霊を連想しやすいこともあり、聖書の用例なども参考に、「あなた」とされました。神学者のイヴ・コンガールはこの「あなた」に、共同体のために恵みを受けたあなた、奉仕職の尊厳を受けたあなたという意味を込めています。

『ミサ典礼書の総則』50番には「司祭は、集まった共同体にあいさつをして、主の現存を示す。このあいさつと会衆の応答は、ともに集まった教会の神秘を表す」と書かれています。

 

ミサの司式者と会衆の間で交わされる「主は皆さんとともに」、「またあなたとともに」という対話句はここの他にミサの中で四回繰り返されます。 

1.開祭のあいさつの部分 

2.福音朗読の前 

3.奉献文の叙唱前句 

4.平和のあいさつ 

5.派遣の祝福の前 

同じ言葉が繰り返されますが、同じことが起きているわけではないことに注意してください。フランシスコ会の聖書学者シュナイダー神父は、「主は皆さんとともに」という言葉は肯定文であると共に願望でもあると言っています。 

開祭のときの応答は、わたしたちが三位一体の神の名によって集まっていることの確認だと言えます。福音朗読の前の応答は、これから朗読される言葉に主イエス・キリストが臨在していることの確認と同意です。奉献文の前の応答は、主ご自身がパンとぶどう酒の食卓に臨在することの確認と同意です。平和のあいさつの応答は、平和を約束した主が共にいてくださることの確認です。派遣の前の応答は、宣言です。感謝の祭儀に与ったことにより、わたしたちが主と一つとなっているという宣言です。わたしたちは主の肢体として派遣されます。 

 

回心の祈り 

式文は「全能の神と、兄弟姉妹の皆さんに告白します。」となりました。「聖母マリア、すべての天使と聖人、そして兄弟姉妹の皆さん」と続きます。 

ここでわたしたちには三つのつながりがあることが表されています。兄弟姉妹という水平のつながり、聖母マリアと聖人という歴史的なつながり、そして全能の神、天使という垂直のつながりです。最近天使はあまり言及されなくなりましたが、この小さな祈りには壮大な次元があるのです。 

ゆるしを求める告白の祈りですが、告白のもとのラテン語にはさまざまな意味があります。神に対しては賛美を献げる、信仰を宣言するという意味で使われます。罪については、わたしが全能の神と兄弟姉妹に対して罪を犯したことを言い表します。 

「回心の祈り 三」を用いた場合にはいつくしみの賛歌は省略されます。 

司祭が回心の祈りに続いて唱える部分について、現行版の典礼注記は「司祭は罪のゆるしを宣言する」となっていますが、ゆるしの秘跡における罪のゆるしの宣言とは異なりますから、規範版に基づいて「司祭は……祈る」とされました。司祭の言葉は宣言ではなく嘆願の祈りです。 

 
 

いつくしみの賛歌 

従来、あわれみの賛歌とされていましたが、今回の改訂でいつくしみの賛歌となりました。 「主よ、いつくしみをわたしたちに」という短い言葉に豊かな聖書的意味が含まれています。ミサ通常文がラテン語になった後も、ギリシャ語の「キリエ エレイソン」という言葉はそのまま残されました。教会の伝統を尊重し、日本語にせず、従来のギリシャ語も使うことができるよう配慮しました。 

 

栄光の賛歌 

栄光の賛歌は、降誕祭で歌われていましたが、8世紀以降、主日、祭日、主な祝日に拡張されて歌われるようになりました。(従来は文語でしたが、栄光の賛歌も口語で歌うか、唱えられます。) 

天には神に栄光、地にはみ心にかなう人に平和。 

神なる主、天の王、全能の父なる神よ。 

わたしたちは主をほめ、主をたたえ、 

主を拝み、主をあがめ、主の大いなる栄光のゆえに感謝をささげます。 

主なる御ひとり子イエス・キリストよ、 

神なる主、神の小羊、父のみ子よ、 

世の罪を取り除く主よ、いつくしみをわたしたちに。 

世の罪を取り除く主よ、わたしたちの願いを聴き入れてください。 

父の右に座しておられる主よ、いつくしみをわたしたちに。 

ただひとり聖なるかた、すべてを越える唯一の主、 

イエス・キリストよ、 

聖霊とともに父なる神の栄光のうちに。 

アーメン。 

 

集会祈願 

集会祈願は奉納祈願、拝領祈願と共に公式祈願と言われます。この祈りは司式者が共同体を代表して祈るもので、祭儀の骨格を表します。「祈りましょう」と会衆を招いた後、「一同は、司祭とともにしばらく沈黙する。それは、自分が神のみ前にいることを意識し、自分の願いを思い起こすためである。」(総則54)。 

総則45は沈黙の大切さを強調します。「聖なる沈黙も、祭儀の一部として、守るべきときに守らなければならない。……祭儀そのものの前にも、教会堂、祭具室(香部屋)、準備室とそれに隣接する場所では沈黙が正しく守られなければならない。こうして聖なる行為が敬虔かつ正しく行われるよう、すべてが整えられるのである。」 
 沈黙の「間」を取ることによって、祈りが共同体全体のものであることに気づきます。対話にはリズムが必要です。ローマ典礼は東方典礼に比べれば非常に簡潔です。でもその短い祈りに多くの意味が込められています。神の人への愛、人の心からの願いなどの祈りが凝縮されているとも言えます。その意味を味わうためにも沈黙が大切です。 

典礼でオランス(orans)とは、祈るときの手を開く、差し伸べるなどの姿勢のことです。また、発声、テンポなども大切です。司式者は会衆が祈りを味わえる朗唱をすることが大切です。典礼注記には祈りを唱える声の大きさについても指示があります。 

 

感想 

 私たちにとって違和感があるのは「またあなたとともに」ではないでしょうか。日本語で「あなた」という言葉は、日常はあまり使われない言葉だと思いますが、西洋語では、私、あなた、彼・彼女などがないと文章が成り立ちません。 

 また、あわれみの賛歌、栄光の賛歌にも工夫のあとが見られます。 

 今回の研修で改めて思ったことは、典礼における沈黙です。一宮教会ではミサの15分前に鐘が鳴り、沈黙の内に祈りの雰囲気を高めるよう工夫しています。 

 一宮教会のミサで気になることは、早く祈る人も遅く祈る人もいて、言葉がそろわないことです。一緒に祈るのですから、祈りのテンポをそろえる必要があります。そのためには他の人の声をよく聞くことが大切です。 



「新しい『ミサの式次第と第一~第四奉献文』の変更箇所」その3

主任司祭 太田 実
~2022年4月ファミリーニュース原稿より~


解説の2回目は開祭から集会祈願までの変更箇所についての解説でした。3回目は、ことばの典礼です。 

 

B ことばの典礼 

ことばの典礼は、神のことばの食卓とも言われます。この部分の変更は少ないです。朗読者は神の言葉、主のみことばを信仰のうちに宣言します。 

第一朗読は主に旧約聖書からの朗読です。 

第二朗読は使徒の手紙が朗読されます。 

それらは「神のみことば」として朗読され、聴き手にとって「神のみことば」となるのです。大切なのは朗読そのものであることを朗読者はわきまえる必要があります。朗読中も会衆が黙想できるように読むように心がけましょう。朗読者は共同体のために奉仕します。会衆は朗読を聴きながら、神のみことばを味わいます。 

朗読が終わると、朗読者は手を合わせてはっきりと「神のみことば」と唱えます。会衆は「神に感謝」と応唱します。 

福音朗読の前に一同は起立し、アレルヤ唱、または詠唱を歌います。 

司祭は祭壇の前で頭を下げ「全能の神、聖なる福音をふさわしく告げるため、わたしの心と口を清めてください」と静かに唱えます。 

 司祭:主は皆さんとともに。 

 会衆:またあなたとともに 

福音朗読が終わると、 

 司祭:主のみことば 

会衆:キリストに賛美 

 司祭:(福音のことばによって、わたしたちが罪から清められますように)
 

説教 

 説教は典礼そのものの一部です。典礼憲章52条は説教について次のように述べます。 

 

「説教は、典礼暦の経過に沿って、聖書から信仰の神秘とキリスト教的生活の規準を説明するものであり、典礼そのものの一部として大いに勧められる。さらに、主日と守るべき祝日に会衆が集まってささげられるミサでは、重大な理由なしに省いてはならない。」 

 

一部という言葉は構成要素という意味で、典礼そのものの不可欠な部分だということです。説教者は典礼暦年に沿って信仰者を励まします。当日の神のみことばを中心にしますが、それは聖書の釈義ではありません。典礼的説教は、その日の典礼の意味を説き明かし、会衆の心を燃え上がらせ、奮い立たせることを目的とします。 

 

信仰宣言 

 説教の後、すべての主日と祭日、盛大な祭儀で一同は起立して、信仰宣言を唱えます。 

 (名古屋教区では司教ミサの場合は、ニケア・コンスタンチノープル信条を唱えると2022年2月の司祭評議会で決定しました。一宮教会でも信仰宣言はニケア・コンスタンチノープル信条にいたします。) 

 

わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。 

わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。 

主は神のひとり子、すべてに先だって父より生まれ、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られることなく生まれ、父と一体。すべては主によって造られました。 

主は、わたしたち人類のため、わたしたちの救いのために天からくだり、(以下、「人となれました」まで一同は礼をする) 聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。 

ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、父の右の座についておられます。主は、生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。 

わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。 

聖霊は父と子から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者をとおして語られました。 

わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。アーメン。

典礼では所作は大切な意味をもっています。典礼注記の18と19は、キリストの受肉の神秘を述べるところで一同は礼をするよう指示します。典礼では、受肉の神秘というキリスト教の教理を神の恵みに対する深い感謝をあらわす所作として礼をします。ただお辞儀をすればよいというのではなく、その気持ちを表現するていねいな所作が求められます。コロナ禍で人と人とのつながりや感謝を示す所作として礼が見直されています。ここでは、教理が典礼に具現化され礼という表現になっているのです。 

 

共同祈願 

信者の祈りとも言われます。 

総則69には「共同祈願すなわち信者の祈りにおいて、会衆は信仰のうちに受け入れた神のことばに何らかの方法で答え、洗礼による自分の祭司職の務めを実行して、すべての人の救いのために神に祈りをささげる。会衆が参加するミサにおいては、通常この祈りを行って、聖なる教会のため、指導権を託された人々のため、種々の必要に迫られている人々のため、さらに、すべての人と全世界の救いのために、嘆願の祈りをすることが望ましい」と書かれています。 

司式者と会衆は共同して世界の救いのために祈ります。司式司祭は自席で立ったまま手を広げて嘆願の祈りをします。 

 

感想 

 ことばの典礼では神のみことばを宣言することが大切です。朗読奉仕者は自分の声で神のことばを会衆に届ける必要があります。会衆が聞いて判るよう句読点で区切りながら朗読する必要があります。神のことばは「聴く」のです。朗読奉仕者が朗読している最中に「聖書と典礼」を読むのではなく、傾聴することが求められます。 

 神学生の時指導司祭に説教をどのようにしたら良いか相談したことがありました。彼は、説教は集まってきた方々が信じていて良かった、これからも信仰を持って生きようと決意できるように、祈りの内に準備する話だと言いました。いまだ、その教えを実現できていないなあと、冷や汗が出ます。 

 「聖書と典礼」に掲載されている共同祈願は例示ですが、ほとんどの教会で例示の通り祈られています。四番目は各教会で作成し、共同体のために祈ることが望ましいと思います。 

「新しい『ミサの式次第と第一~第四奉献文』の変更箇所」その4

主任司祭 太田 実
~2022年5月ファミリーニュース原稿より~


 

解説の4回目は、感謝の典礼から閉祭までです。 


 
 

C 感謝の典礼 

 若干の変更があります。パンとぶどう酒を供える祈りのとき「司祭は祭壇に行き、パンを載せたパテナを取り、両手で祭壇上に少し持ち上げ、次の祈りを小声で唱えます」。ぶどう酒を入れたカリスも同様に両手で祭壇上に少し持ち上げ、小声で祈ります。 

 奉納の歌を歌わない場合は、従来通り、司祭も、会衆もはっきり唱えます。 

 

パンとぶどう酒の持ち上げ方には三つの段階があります。 

奉納のときは会衆に「示す」という持ち上げ方です。聖変化のときには奉納のときよりも高めに奉持します。奉献文の結びの栄唱のときには、「パテナとカリスを手に取り、高く掲げて唱え」ます。持ち上げる動作にも違いがあるのです。 

 

招きのことば 

司祭:皆さん、ともにささげるこのいけにえを、全能の父である神が受け入れてくださるように祈りましょう。 

 

会衆:(立って答える)神の栄光と賛美のため、またわたしたちと全教会のために、あなたの手を通しておささげするいけにえを、神が受け入れてくださいますように。 

 

一同はその後、しばらく沈黙のうちに祈る。 

 

奉納祈願 

 司祭は手を広げて奉納祈願を唱え、会衆は結びにはっきりと「アーメン」と唱和します。 

 

奉献文(エウカリスティアの祈り) 

 奉献文は「祭儀全体の中心であり頂点」です。ラテン語では”prex eucharistica”といいます。エウカリスティア(感謝)という豊かな内容を表すために「エウカリスティアの祈り」という言葉を加えました。 

 

司祭:主は皆さんとともに。 

会衆:またあなたとともに。 

司祭:心をこめて、 

会衆:神を仰ぎ、 

司祭:賛美と感謝をささげましょう。 

会衆:それはとうとい大切な務め(です)。 

 

叙唱前の対話句は二組になっていましたが、規範版にあわせて三組となりました。この対話句には長い教会の伝統があります。会衆は司祭の「賛美と感謝をささげましょう」に対して「それはふさわしく正しいことです」と応え、司祭に賛同しました。今回の改訂では「それはとうとい大切な務めです」となっています。ラテン語規範版の第二奉献文の冒頭は会衆の言葉を受けて、司祭は「まことにとうとい大切な務め(です)」と続け、司式者が中心部分を唱えます。奉献文の間、会衆は沈黙のうちに参加しています。 

 

感謝の賛歌 

 

聖なる、聖なる、聖なる神、すべてを治める神なる主。 

主の栄光は天地に満つ。天には神にホザンナ。 

主の名によって来られるかたに賛美。天には神にホザンナ。 

 

 歴史的に古い大切な賛歌です。この賛歌は叙唱の締めくくりであり奉献の橋渡しです。天と地を包み込む賛歌です。天使も共に加わります。天使は最近あまり注目されませんが、大切な要素です。見えないものも共に神への賛歌を歌います。 

「万軍の主なる神」が「すべてを治める神なる主」とされました。万軍ということばが戦いを連想させるということから変更されましたが、聖書学者たちは異論を唱えています。万軍の主(Sabaoth)は満天の星であり、神の救いの確かさをあらわすと言います。古代のヘブライ語を現代に通用するために「教会の祈り」の詩編訳では既に「すべてを治める神なる主」とされています。 

 

第二奉献文冒頭の「いま、聖霊によってこの供えものをとうといものにしてください」という部分は、「いま、聖霊を注ぎ、この供えものを聖なるものとしてください」に変更されました。聖霊のシンボルは鳩だと言われますが、水もまた聖霊のシンボルです。水は万物の根底であり、形なく、すべてのものに浸透し、すべてのものを浄めます。聖霊は匿名です。 

 

秘跡制定句は従来「パンを割り」となっていましたが、 聖書の表現に従って「パンを取り、感謝をささげ、裂いて……」と変更されました。 

 

(奉献文は第一から第四までありますが、主に司祭が唱えるので割愛しています。) 

 

「信仰の神秘」という司祭のことばの後に、会衆は主に向かって直接祈ります。 

(会衆の祈りは三つの選択肢があります。) 

 

l主よ、あなたの死を告げ知らせ、復活をほめたたえます。再び来られるときまで。 

l主よ、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、あなたの死を告げ知らせます。再び来られるときまで。 

l十字架と復活によってわたしたちを解放された世の救い主、わたしたちをお救いください。 

 

奉献文の締めくくりの栄唱のときは先ほど申し上げましたが、 イエスのからだと血を高挙して祈ります。持ち上げて祈るという オランスにも段階があります。 

 

 

 

交わりの儀(コムニオ) 

 交わりの儀はラテン語で”ritus communionis”です。”communio(cum+unio)”(ともに一つになる)ということばの豊かさを表すためにカタカナで併記しました。 

 主の祈りの副文の選択肢が増えました。(従来のものを含め四つあります。) 

 

 主の祈りの後の平和の祈りでは、先ず世界の平和が祈られ、次に教会の平和が祈られ、最後に、集会に参加している人々に平和が祈られます。 

 

 世界の平和が祈られた後の会衆の応唱は「国と力と栄光は、限りなくあなたのもの」から「……、永遠にあなたのもの」に変えられました。主の祈りを日本聖公会と共同で翻訳したときに、この応唱も含めて翻訳し認可されたので、今回の改訂はそれにあわせました。 

 
 

平和の賛歌(アニュス・デイ) 

平和の賛歌も他のミサの賛歌と同じように口語に変更され、ラテン語の表題が加えられました。 

 

世の罪を取り除く神の小羊、いつくしみをわたしたちに。 

世の罪を取り除く神の小羊、いつくしみをわたしたちに。 

世の罪を取り除く神の小羊、平和をわたしたちに。 

 

拝領前の信仰告白 

司祭:世の罪を取り除く神の小羊。神の小羊の食卓に招かれたは幸い。 

会衆:主よ、わたしはあなたをお迎えするにふさわしい者ではありません。 

おことばをいただくだけで救われます。 

会衆:主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧。 

 あなたをおいてだれのところに行きましょう。 

 

「拝領前の信仰告白」は、規範版に基づき「世の罪を取り除く神の小羊」が付け加えられました。この言葉は洗礼者ヨハネがイエスを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊を」と言った言葉に由来します。司祭が指し示すホスチアだけを見るのではなく、イエス・キリストを見なさいというニュアンスがあります。 

この司祭のことばに対する応唱に、規範版の百人隊長の信仰告白が加えられました。この信仰告白は謙虚さを表します。「わたしはあなたをお迎えするにふさわしい者ではありません」ということばは、ミサが共同体の典礼であることから、ほとんどの応唱が「わたしたち」という表現であるのに対して、信仰の主体としての「わたし」が強調されています。一方、ヨハネ6章のペトロの信仰告白は積極的にイエスのもとに踏みとどまるという決意を表しています。どちらかを共同体によって選択することができるようになりました。 

 

拝領祈願 

 拝領祈願は司祭が唱えますが、祭儀の終わりに際して、祭儀を越えて派遣されるという位置づけです。会衆が最後に聴く祈願です。ミサの後にも心に残るような朗唱が必要です。ゆっくりと祈りましょう。 

 

D 閉祭 

 

派遣の祝福 

司祭:主は皆さんとともに。 

会衆:またあなたとともに。 

司祭:全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように。 

会衆:アーメン。 

 
 祝福前の対話句は、ミサの中での最後の対話句です。この対話句は四回ありましたが、対話句によって生起される出来事は同じではありません。既に申し上げましたが、この対話句は宣言です。主が共におられると司祭と会衆が宣言し、そこから派遣されていきます。 

 父と子と聖霊のみ名によって始まったミサは、父と子と聖霊の祝福を受けて会衆が派遣されることによって終了します。 


閉祭の言葉 

司祭・助祭:感謝の祭儀を終わります。行きましょう、主の平和のうちに。 

 :感謝の祭儀を終わります。行きましょう、主の福音を告げ知らせるために。 

 :感謝の祭儀を終わります。平和のうちに行きましょう、 

日々の生活の中で主の栄光をあらわすために。 

会衆:神に感謝。 



名古屋教区典礼研修会 講演動画(←ここをクリック)


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 今年11月27日(待降節第1主日)より実施される『新しいミサ式次第と奉献文』に関する典礼研修会が、昨年12月16日に布池教会大聖堂にて行われました。
今回は講師として、日本カトリック典礼委員会の委員でもあられる、神言修道会の市瀬英昭神父にお話しいただきました。 

カトリック中央協議会のホームページの「新しいミサ式次第と第一~第四奉献文」等の実施に向けて

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新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」等の実施に向けて

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