教皇メッセージ

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第2回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」教皇メッセージ 2022年7月24日

 2022/06/23 


 ~カトリック中央協議会ホームページより



「白髪になってもなお実を結び」(詩編92・15)


最愛なる仲間の皆さん

 詩編92の一節「白髪になってもなお実を結び」(15節)は、よい知らせ、真の「福音」であり、第2回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」の機に、世に告げ知らせるべきものです。これは、この年代についての世の見方とは逆行するものであるとともに、わたしたち老人の中に見られる、ほとんど希望もなく、もはや未来への期待もなく過ごす人のあきらめの姿勢とも正反対のものです。

 多くの人にとって、老齢は恐怖です。どうにか避けたい病気のようなものとして、それは捉えられています。老人は自分には関係ない――そう彼らは考え――、なるべく離れて、できれば皆で介護施設で暮らしてもらい、面倒を見なければならない状態は避けたいと考えています。それが「使い捨て文化」です。こうしたメンタリティは、自分たちはあの弱い人とは違うのだ、あの人たちの脆弱性とは無関係だという気にさせて、「わたしたち」と「あの人たち」にはそれぞれ別の道があると思い込むことを正当化します。しかし、本当のところ、聖書が教えているように、長寿は祝福であり、老人は疎まれる存在ではなく、いのちを豊かに与えてくださる神のいつくしみの生きたしるしです。高齢者を世話する家庭は幸いです。祖父母を敬う家族は幸いです。

 確かに、老いというのはなかなか理解しがたく、それはすでに老いを経験しているわたしたちにとっても同じです。長い旅路の後にやってくるとはいえ、だれ一人として覚悟してはこないので、不意打ちを食らったように感じます。先進国では、この年代に対して多くを投じていますが、老齢期についての理解を助けてはくれません。介護事業はあっても、実存に関する事業はありません1。だから、未来について考え、目指すべき地平を捉えることが難しいのです。一方では、老いを払いのけようと皺(しわ)を隠し、いつまでも若いふりをしながらも、他方では、もはや「結べる実」はないとあきらめて、楽しみにすることもなく過ごしていくしかない、そんなふうになっています。

 引退し、子どもが独立したことで、これまでエネルギーを注いできたモチベーションを失います。体力の衰えを実感したり、病気になったりすることで、自信が揺らぐこともあります。世の中の流れは速く、わたしたちはそれについていくのが大変ですが、ほかに手段がないように思い、自分たちは用なしなのだという考えを受け入れてしまいます。だから詩編の祈りはこう叫ぶのです。「老いの日にも見放さず、わたしに力が尽きても捨て去らないでください」(71・9)。

 しかし、人生のあらゆる時期における主の存在を振り返るこの詩編は、期待する心をもち続けるようわたしたちを招きます。老いて白髪になっても、主はいのちを吹き込み続け、わたしたちが悪に打ち負かされることがないようにしてくださいます。主を信頼するならば、ますます主を賛美する力を得(14—20節参照)、そうしてわたしたちは、年を取ることは、肉体の自然な衰えやどうにもならない時の経過であるだけでなく、長寿というたまものでもあると気づくでしょう。年を取ることは、呪いではなく祝福です。

 そのためにわたしたちは、自分を律し、精力的に年を重ねることを学ばなければなりません。霊的な観点からもそうで、神のことばを熱心に読み、日々祈り、秘跡にあずかり、典礼に参加することで、内面を豊かにして年を重ねるのです。また、神とのかかわりとともに、他者とのかかわりも豊かにしていかなければなりません。まずは、わたしたちが心から愛情を注ぐ家族、子ども、孫とのかかわりがありますが、それだけでなく、貧しい人や苦しんでいる人、具体的な援助と祈りをもって接しなければならない人とのかかわりです。これらによってわたしたちは、この世という劇場で単なる観客だという思いに陥らず、「バルコニーから眺める」、窓からのぞくだけにはならないのです。そうはならずに、主の存在に気がつけるよう感覚を研ぎ澄ますことで2 、わたしたちは「神の家にある生い茂るオリーブの木」(詩編52・10参照)のように、そばで生きる人たちにとっての祝福となるのです。

 老齢期は、舟に櫓(ろ)を置き隠退の身となる無益な年月ではなく、なお実を結び続ける年代です。わたしたちを待つ新たな使命があり、未来に目を向けるよう招いています。「人間を人間らしくする、気配り、思慮深さ、愛情、これらについてわたしたち老人、高齢者がもつ特別な感受性は、再び多くの人の召命となるべきです。それは、新しい世代に対して高齢者が示す、愛という代案です」3。これは「優しさ革命」へのわたしたちの貢献であり4、メインキャストとしてそれに加わるよう、わたしが皆さんに、愛する祖父母と高齢者に呼びかける、霊的で非武装の革命です。

 世界は今、厳しい試練の時を迎えています。まずパンデミックという予期せぬ猛烈な嵐が吹き荒れ、次に地球規模で平和と発展を壊す戦争が起きています。前世紀に戦争を体験した世代がいなくなりつつある今、ヨーロッパで戦争が再び起きたことは偶然ではないでしょう。そしてこのような大きな危機によって、人類家族とわたしたちの共通の家を脅かす他の「伝染病」や他の蔓延する暴力が存在する事実に、鈍感になるおそれがあります。

 このような状況の中で、わたしたちは根底から変わる必要があります。心の鎧を脱ぎ、他者は兄弟姉妹なのだと一人ひとりが気づけるようになる回心が必要なのです。そして、わたしたち祖父母や高齢者には大きな責任があります。自分の孫に注ぐ、理解ある優しいまなざしと同じまなざしで他者を見ることを、現代の人々に教える責務です。わたしたちは、隣人を気遣うことで人間性を磨いてきました。だから今日わたしたちは、弱い立場の人に優しさと思いやりを忘れない生き方を示す、師匠となっているはずです。わたしたちの姿勢は、弱さや服従と誤解されるかもしれませんが、地を受け継ぐのは柔和な人であって、攻撃的な人でも地位を悪用する人でもありません(マタイ5・5参照)。

 わたしたちが実らせるべき果実の一つは、世界の面倒を見ることです。「わたしたちは皆、祖父母の膝に乗り腕に抱かれる時代を経てきたのです」5。今日こそ、おびえている多くの孫たちを膝の上で抱きしめる時です。まだ知り合うに至らない、そしてどうにか戦争から逃れることができたか、あるいは戦争で苦しんでいる孫たちを、物理的な支援によって、またひたすら祈ることで、膝の上に抱くべき時です。穏やかで面倒見のよい父である聖ヨセフのように、わたしたちも心の内で、ウクライナ、アフガニスタン、南スーダンの幼子たちの面倒を見ていきましょう。

 わたしたちの多くは思慮と謙遜で磨かれた意識を身に着けていますが、それを世界は緊急に必要としています。わたしたちは一人では救われない、ともに食べるパンこそが幸福、そうした意識です。対立することで自己実現や成功が得られると思い込んでいる人たちに、それをあかししてください。だれもが、どんなに弱い立場の人でも、できることです。わたしたちが面倒を見てもらうということ自体が(世話する側の多くは外国から来た人たちです)、ともに生きることは可能であるばかりか必要なことだと表明する、一つの手段です。

 親愛なる祖父母の皆さん、親愛なる高齢者の皆さん。今のこの世界においてわたしたちは、優しさ革命の担い手となるよう招かれています。わたしたちが手にしたもっとも尊い道具、わたしたちの年代にもっともふさわしい道具を、もっとたくさん、もっと上手に使うことを覚え、それを果たしていきましょう。その道具とは、祈りです。「わたしたちも祈りの詩人になりましょう。自分のことばを探す喜びをつかみ取りましょう。わたしたちに神のことばを教えてくれるものを取り戻しましょう」6。わたしたちの確信に満ちた祈りは、多くのことをもたらすはずです。苦しんでいる人々の痛みの叫びに重なるものとなり、人々の心を変える助けとなるはずです。わたしたちは、「美しい霊的な聖域が続く『合唱』を紡ぎます。そこでは、懇願の祈りと賛美の歌が、人生という場で懸命に働き、あがく社会を支えているのです」7。

 そうしたわけで、祖父母と高齢者のための世界祈願日は、主によって——聖書にあるように——「長寿をまっとうした」人たちと祝宴を開きたいのだと、あらためて喜びをもって教会が告げる日なのです。さあ、皆でお祝いしましょう。皆さんの小教区や共同体でこの日を宣伝してください。そして孤独に苦しむ高齢者を、家でも施設でも彼らの暮らす場を、訪ねてください。だれもこの日を独りで過ごすことがないようにしましょう。待っていてくれる人がいることで、未来に何の楽しみもなくなった人の日々の向かう先が変わり、最初の出会いから新しい友情が生まれるかもしれません。一人暮らしの高齢者を訪問することは、現代におけるいつくしみのわざです。

 優しさの聖母、マリアに願いましょう。わたしたち皆が優しさ革命の担い手となって、孤独の影と戦争の魔の手から、世を解放することができますように。

 わたしが送る祝福が、皆さんを愛をもって心に留めているという約束とともに、皆さんと皆さんの大切な人たちに届きますように。ですから皆さんも、わたしのために祈ることをどうか忘れないでください。

2022年5月3日 聖フィリポ 聖ヤコブ使徒の祝日
ローマ、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂にて
フランシスコ




祈り(日本語版)こちらクリック
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ロシアとウクライナを

マリアの汚れなきみ心に奉献する祈り

~カトリック中央協議会HP~
2020年3月24日

 

ロシアとウクライナをマリアの汚れなきみ心に奉献する祈り

 神の母、わたしたちの母マリアよ、この苦難の時、あなたにより頼みます。母であるあなたは、わたしたちを愛し、わたしたちのことをご存じです。わたしたちが心に抱くことは、何一つあなたに隠されていません。いつくしみ深い母よ、わたしたちはあなたの優しい計らいと、平和をもたらすあなたの存在をたびたび経験してきました。あなたはいつも、わたしたちを平和の君であるイエスのもとに導いてくださるからです。
 しかし、わたしたちは平和の道を見失いました。わたしたちは前の世紀の悲劇の教訓を忘れ、世界大戦の犠牲となった数えきれないほどの死者のことを忘れてしまいました。国際的な共同体として交わした約束を無視し、人々の平和への夢と若者たちの希望を裏切りました。わたしたちは欲望に取りつかれ、国益の中に閉じこもり、心は無関心によって渇き、利己主義によって麻痺してしまいました。神を無視し、偽りとともに生き、攻撃する心をかき立て、いのちを消し去り、武器を蓄えることを選び、隣人と共通の家を守るべき者であることを忘れてしまいました。戦争によって地球の庭を荒廃させ、わたしたちが兄弟姉妹として生きることを望まれる御父のみ心を、罪によって傷つけてしまいました。わたしたちは、自分以外のすべての人や物事に無関心になってしまいました。そして、恥ずかしながらこう叫びます。「主よ、おゆるしください!」
 聖なる母よ、悲惨な罪の中で、疲れと弱さの中で、悪と戦争という理解しがたい不条理の中で、神はわたしたちを見捨てることなく、愛のまなざしを注ぎ続け、わたしたちをゆるし、再び立ち上がらせようと望んでおられることを、あなたは思い出させてくださいます。神はあなたをわたしたちにお与えになり、あなたの汚れなきみ心を教会と人類のよりどころとしてくださいました。神の恵みによって、あなたはわたしたちとともにいて、歴史の最も厳しい曲がり角においてもわたしたちを優しく導いてくださいます。
 わたしたちはあなたにより頼み、あなたのみ心の扉をたたきます。あなたは、愛する子であるわたしたちをいつも見守り、回心へと招いてくださいます。この暗闇の時、わたしたちを救い、慰めに来てください。わたしたち一人ひとりに繰り返し語ってください。「あなたの母であるわたしが、ここにいないことがありましょうか」と。あなたは、わたしたちの心と時代のもつれを解くことがおできになります。わたしたちはあなたに信頼を寄せています。とくに試練の時、あなたはわたしたちの願いを軽んじることなく、助けに来てくださると確信しています。
 ガリラヤのカナで、あなたはイエスの執り成しを促し、イエスの最初のしるしを世界にもたらしてくださいました。婚宴の祝いが悲しみに変わった時、あなたはイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」(ヨハネ2・3)と言われました。御母よ、神にそのことばをもう一度繰り返してください。今日、わたしたちに希望のぶどう酒はなくなり、喜びは消え去り、きょうだい愛は水を差されてしまったからです。わたしたちは人間性を見失い、平和を壊してしまいました。あらゆる暴力と破壊を可能にしてしまいました。わたしたちは、あなたの母なる助けを直ちに必要としています。

母マリアよ、わたしたちの願いを聞き入れてください。
海の星であるマリアよ、戦争の嵐の中でわたしたちを難破させないでください。
新しい契約の櫃であるマリアよ、和解への計画と歩みを奮い立たせてください。
「天の大地」1であるマリアよ、神の調和を世界にもたらしてください。
憎しみを消し、復讐をしずめ、ゆるしを教えてください。
わたしたちを戦争から解放し、核の脅威から世界を守ってください。
ロザリオの元后、祈り愛することが必要であることを呼び覚ましてください。
人類家族の元后、人々にきょうだい愛の道を示してください。
平和の元后、世界に平和をお与えください。
 
わたしたちの母よ、あなたの嘆きが、わたしたちの頑な心を動かしますように。あなたがわたしたちのために流した涙が、憎しみで涸れる谷に再び花を咲かせますように。武器の音が鳴りやまない中で、あなたの祈りがわたしたちを平和に向かわせますように。あなたの母なる手が、度重なる爆撃によって苦しみ、逃げまどう人々に優しく触れますように。あなたの母なる抱擁が、家と祖国を追われた人々に慰めを与えますように。あなたの苦しむみ心が、わたしたちのあわれみの心を動かし、扉を開き、傷つき見捨てられた人々のために尽くす者となりますように。
聖なる神の母よ、あなたが十字架の下におられたとき、イエスはあなたのそばにいる弟子を見て、「御覧なさい。あなたの子です」(ヨハネ19・26)と言われました。こうしてイエスは、わたしたち一人ひとりをあなたにゆだねられました。そして、イエスは弟子に、すなわちわたしたち一人ひとりに、「見なさい。あなたの母です」(同19・27)と言われました。御母よ、わたしたちは今、あなたをわたしたちの人生と歴史の中にお迎えしたいと願っています。今この時、疲れ果て、動揺した人類は、あなたとともに十字架の下に立っています。そして、あなたに信頼し、あなたを通してキリストに自らを奉献したいと望んでいます。愛をもってあなたを崇敬するウクライナとロシアの民は、あなたにより頼んでいます。あなたのみ心は、彼らのために、そして戦争、飢餓、不正義、貧困によって殺されたすべての人のために鼓動しています。
神の母、わたしたちの母よ、あなたの汚れなきみ心に、わたしたち自身を、教会を、全人類を、とくにロシアとウクライナを厳かにゆだね、奉献いたします。わたしたちが信頼と愛を込めて唱えるこの祈りを聞き入れてください。戦争を終わらせ、世界に平和をもたらしてください。あなたのみ心からあふれ出た「はい」ということばは、歴史の扉を平和の君に開きました。あなたのみ心を通して、再び平和が訪れると信じています。あなたに全人類の未来と、人々の必要と期待、世界の苦悩と希望を奉献いたします。
あなたを通して、神のいつくしみが地上に注がれ、平和の穏やかな鼓動がわたしたちの 日常に再び響きますように。「はい」と答えたおとめよ、聖霊はあなたの上にくだりました。わたしたちの間に神の調和を再びもたらしてください。「ほとばしる希望の泉」であるマリアよ、渇いたわたしたちの心を潤してください。人類をイエスに織り込んだマリアよ、わたしたちを、交わりを作り出す者としてください。わたしたちの道を歩まれたマリアよ、平和の道へと導いてください。
アーメン。 


ウクライナとロシアを聖母マリアの汚れなきみ心に奉献する 教皇フランシスコと心をあわせて 日本カトリック司教協議会会長呼びかけ

(2022.3.23) 


 ~カトリック中央協議会ホームページより


日本のカトリック信者の皆様

ウクライナとロシアを聖母マリアの汚れなきみ心に奉献する
教皇フランシスコと心をあわせて

 ロシアによるウクライナへの武力侵攻は、2月24日に発生してからまもなく一ヶ月になろうとしていますが、残念ながら戦争状態は継続しており、平和とはほど遠い現実が、毎日のように報道されています。
 いのちが危機に直面しているこの状況を憂慮され、平和を求めるために様々に努力を続けておられる教皇フランシスコは、聖母の取り次ぎによる平和を求めて、来る3月25日(金)神のお告げの祭日のローマ時間午後5時(日本時間3月26日午前1時)に、聖ペトロ大聖堂において、ロシアとウクライナを聖母マリアの汚れなきみ心に奉献されます。
 なお3月25日は、1984年に教皇ヨハネパウロ2世がロシアを聖母マリアの汚れなきみ心に奉献した日でもあります。
 教皇様は、全世界の司教たちに、また司教を通じてすべての信者に、この奉献に一致して祈るようにと呼びかけ、できれば同じ時間に祈りを捧げるようにと招いておられます。
 当日のために準備される祈りは、現時点ではまだ教皇庁から届いていませんが、届き次第、可能であれば翻訳を間に合わせ、ホームページなどでお知らせすることができればと思います。公式の祈りが間にあわない場合でも、教皇様の意向に心をあわせ、平和のためにロザリオの祈りなどをお捧げください。また教皇様の奉献との同時刻は日本では深夜ですので、祈りを捧げるのは翌朝でもかまいません。具体的には、それぞれの教区司教の定めるところに従ってお祈りください。
聖母の取り次ぎによって、神の平和がこの地上にもたらされ、特にウクライナの地に平和が確立されますように、また賜物であるいのちがその尊厳を守られますように、教皇様と心をあわせてともに祈りをささげましょう。


2022年3月23日
日本カトリック司教協議会 会長
カトリック東京大司教 菊地功



ウクライナの平和のために(司教協議会会長談話について)(2022.3.2) 


 ~名古屋教区ホームページより~
松浦司教/お知らせ

教区の皆さま

一昨日(2月28日付け)、司教協議会会長の菊地功大司教から、ウクライナの平和のための談話が届きましたので皆さまに送ります。
司牧者の皆さまには直ちにメールでお知らせしましたが、談話の中には教皇フランシスコが先日の一般謁見で、灰の水曜日を「平和のための特別な断食と祈りの日」と定めたことが記されています。世界で一致して祈ることはすばらしいことですが、皆さまに伝える時間がなく、灰の水曜日にはとても間に合いませんでした。
そこで、名古屋教区としては、灰の水曜日から始まる四旬節(主の晩餐の夕べのミサの前まで)の間、教皇の意向に従って、ウクライナの平和のために祈りと断食(何らかの犠牲)を続けたいと思います。
会長談話をできるだけ多くに人に伝えて下さり、個人的に、また共同体として共にウクライナの平和のために祈りましょう。

平和を祈りながら

【なお、司教協議会会長談話の英語訳、教皇フランシスコのメッセージなどが、中央協議会のWebサイトに掲載 (こちらになります)



2022年「世界平和の日」教皇メッセージ(2022.1.1)

 2022年1月1日教皇フランシスコの世界平和メッセージです。 

「世代間対話、教育、就労――恒久的平和を築く道具として」




2022年1月1日

 Link from below:カトリック中央協議会
2022年「世界平和の日」教皇メッセージ(2022.1.1) | カトリック中央協議会 (catholic.jp) 



教皇、5月にロザリオの祈り呼びかける 「聖母月」にパンデミックの終息を願う

5月1日~31日までの聖母聖堂や巡礼所などと毎日の祈りの意向 リスト(英語のみ)


2021年4月26日

Link from below
https://www.cbcj.catholic.jp/2021/04/26/22426/



2021年「第29回世界病者の日」 教皇メッセージ


「あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ」
(マタイ23・8) 病者へのケアの基盤である信頼関係

2021年2月11日