尾張の五聖人

日本のキリスト教迫害は、1587年(天正15年)の豊臣秀吉によるキリシタン禁令公布より、1873年(明治6年)の禁令高札の撤去の時期まで続きました。日本26聖人はその中の最初の殉教者であり、神に忠誠を誓い、信仰的良心を守り通して、1597年(慶長2年)長崎西坂で処刑され、栄光を神に帰しました。その崇高な生き方は全世界に感動を呼び起こし、現在も深い感銘を与えています。

右写真:カトリック一宮教会1階ホール壁面レリーフ

  切支丹殉教顕彰碑

 

キリスト教が国内に広まった約450年前、尾張地方でも花正村(現・美和町)の信者らによる熱心な布教活動で、多くの人たちが洗礼を受けました。しかし、1631年キリシタン禁制を強化した徳川家光による命令で、尾張藩もキリスト教を弾圧。信者57名を捕縛し、熱心に活動していた4名を火あぶりにしました。その後、小牧、犬山、岐阜県美濃地方にも取り締まりは広がり殉教者が増え続けました。 

 
これら一宮および周辺の殉教者を敬い、その苦難や功績 

を広く周知し、後世に伝えたいとの思いから2008年11月、 一宮教会の敷地内に切支丹殉教顕彰碑を建立しました。